イエスの怒り

「ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。『それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」
(ヨハネの福音書2:13〜16)

 ユダヤの過ぎ越しの祭りは、大切な祭りで、世界中から人が集まり、225万人もの人出があったといわれます。
そんな中で、むちをふるって両替人の台を倒し、犠牲のために売られていた牛や羊を追い出したイエス・キリストの怒りの姿は、異様であり、人々の驚きや混乱はただならないものだったでしょう。やさしい愛にみちたイエス・キリストは、聖なる怒りで燃えていました。なぜ、イエス・キリストは、そんなに怒りを燃やされたのでしょうか。

 第一の理由は、聖い神殿、祈りの家を、つまり宗教を金もうけと置きかえた人間の貪欲に対してでしょう。
当時、神殿には、一人あたり半シケルの神殿税をおさめなければならず、それも神殿のシケルでなければならなかったので、莫大な手数料をふんだくる両替人がひしめき、人々は牛や羊や鳩を犠牲としてささげましたが、犠牲の動物はきずのない汚れのないものでなければ、という規則があり、神殿の中で買ったものでないと検査には通らず、祭司たちと結託した商人たちから、市価の20倍も高く売りつけられていたのです。

祈りの家であり、愛ときよさと永遠のシンボルであるべき神殿は、ただ銅貨のじゃらじゃら言う音、牛や羊の鳴き声、人の口論で、ただうるさいばかり。どこに神がいるのかわかりません。こんな宗教はたしかに、むちで追放すべきでしょう。そして、そんな宗教が、今だに世界中にみちているのではないでしょうか。

「私の父の家を商売の家としてはならない」