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聖書の中には、「私は罪を犯しました」と懺悔はしても、後悔はしても、本当の「悔い改め」ができずに呪われた人生を終えた人が何人か出てきます。その代表がイスカリオテのユダです。
ユダはイエスを裏切った男です。イエスの弟子仲間の会計係として、お金をごまかして私腹を肥やしていました。そんな行為の頂点として、彼はついにイエス・キリストを銀貨三十枚で敵の手に売り渡します。それがきっかけとなり、イエス・キリストに十字架の死刑が宣告されたとき、この男の心には猛烈な後悔の気持ちが起こります。「俺はなんでこんなことをしてしまったんだ」と。しかし彼は、イエス・キリストはすべてを投げ出し、赦しを請いませんでした。イエス・キリストはすべてを投げ出し、信じ、頼る人の罪を赦し、新しくするために、十字架の上で身代わりとして死んでくださったお方です。聖書には「御子(みこ)イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」と書いてあります。しかしユダは、最後まで自分を自分の力で始末しようとしました。返しに行ったお金を受け取ってもらえず、神殿の中に銀貨三十枚を投げ捨てた彼は、首をくくって死にました。
同じく罪の奴隷でありながら、そのすべてをイエスの前にさらけ出し、悔い改めて罪を赦され、新しい人生に造り変えられた代表的な人物は、エリコのザアカイでした。
背の低かったザアカイは劣等感の奴隷でしたが、「ようし見ておれ」と頑張ってローマ政府の手先、取税人の頭になりました。ごまかせるだけごまかし、搾れるだけ搾り取って金持になりました。
しかし彼は、自分が罪人だとわかっていました。罪を赦され、清い人になりたい、新しい人になりたい。彼は心の中での求道者でした。木の上に登って、一目イエス・キリストを見たいと待っていると、その下に立ち止まったイエスが、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今晩わたしはあなたの家に泊まる」とおっしゃったのです。落ちるように飛び降りたザアカイは、砕けた魂としてイエスの前にひれ伏すのです。貧しい人にその財産を投げ出し、ごまかしたものはみな四倍にして返しました。彼は本当に悔い改め、信じ、罪赦されて新しい人となりました。イエスの弟子となった彼は、後にカイザリヤの司教にまでなったと伝えられています。
イエス・キリストはこう言われました。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカの福音書19:10)
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