聖書の中にたった一行、「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった」(創世記19:26)とあります。これがロトの妻の歴史のすべてです。しかしこの一行には、「ただ振り返っただけなのに、塩の柱にされてしまった。神様はひどい、不条理だ。ロトの妻より罪深い人はたくさんいるのに」と人々の注目が集まっています。
 おじアブラハムに従って、神の与える約束の地を目指して旅に出たロトは、神を信じていましたが、あまりにも世俗的で物欲的な人でした。
 ロトの妻をはじめとし、彼の家族も右にならえで、同じような歩みをしていました。ロトはアブラハムに「さあ、好きな所へ行って住め」と言われたとき、豊かで自由でおもしろそうな罪の町ソドムを選び、そこに住みました。
 罪の町ソドムに神の怒り、裁きが下ったとき、アブラハムのとりなしの祈りを聞かれた神は、ロトとその家族を助けようとします。神の勧めにやっとのことで従ってきた家族たちは、ソドムを脱出しますが、その途中、物と快楽の自由に執着したロトの妻は、ソドムを振り返ってみました。硫黄の火の中で滅亡するソドムの姿。それは彼女の目にどう映ったのでしょうか。神のことばに従うより、罪の町ソドムを慕った彼女は?「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった」のです。
 聖書に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」(ガラテヤ人への手紙6:7-8)とあります。ロトの妻は、人類のためにこの事の見本とされたのです。
 では、ロトの妻のような人間に救いはないのでしょうか。あります。

 第一に、ロトの妻が本当に神を信じていたなら、死から命に移されているのですから(ヨハネの福音書5:24)、「自分自身(の魂)は、火の中をくぐるようにして助かります」(コリント人への手紙第一3:15)と聖書は言います。第二に、一時は「悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう」(テモテへの手紙第二2:26)とも聖書は言います。
 聖書のことば、「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」(詩篇121篇1-2節)