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アメリカの私の友人が言ってました。
「この間、バンパーに“クリスチャンも完全ではない、ただ赦されているだけ”というステッカーを貼った車が、僕の車を140キロの猛スピードで追い越していった。確かにクリスチャンだって完全じゃないと思う。ステッカーの言葉は聖書的真理かもしれない。でもそれを盾に、スピード違反や自分勝手に何でもしていいってことにはならないだろう?」まさにその通り。私もそう思います。私たち人間は、まず自分自身に対しては完全主義者であるべきです。自分に対して甘っちょろくてはいけません。
自分の知恵や力で完全になろうとするなら、
(1)ノイローゼになるか (2)偽善者になるか、しかありません。
(3)自分のことは棚に上げて他人から完全を求めるタイプの完全主義者は、低劣そのものです。
「他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」(ローマ人への手紙2:1)
しかし、神とそのみ恵みと愛を少しでも知っている者は、
(1)愛の完全主義者であるべきです。
「心を尽くし思いを尽くし知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。また、あなたの隣りの人をあなた自身のように愛せよ」(キリスト)
そして、神のきよさ、正しさ、力を少しでも知っているなら、自分に対し、
(2)きよさの完全主義者であるべきです。
「どのように歩んで神を喜ばすべきか。……神のみこころはあなたがたが聖くなることです」(パウロ)
しかし、他に対しては絶対に寛容主義者であるべきです。他人をさばいてはいけません。赦して受け入れるべきです。忍耐をもって、愛し続け、期待し続け、祈り続け、待つべきです。有名な世界的伝道者ビリー・グラハムの夫人、ルス・グラハムは、かつてこう言いました。「ビリーを愛するのが私の役目です。ビリーを善くしてくださることは神様の仕事です」…心を打たれました。ビリーの替わりに私の妻、子供、友の名を入れたら、ぴったりじゃないでしょうか。
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペソ人への手紙4:32)
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