アヒルは走れない

 変な題ですが、ある学校の広報誌にこんな話が載ってたんです。
「昔々、ある所に動物王国がありました。新情勢に対応するため何か新しいことをやろう。そうだ、学校を作ろう…」
活発なカリキュラムが出来上がりました。「走る」「泳ぐ」「登る」「飛ぶ」の四教科ですが、とりあえずこの四教科は全員必修としました。
 まずアヒルですが、泳ぐことは先生以上に抜群ですので授業免除。ところが飛ぶのはやっと及第点。走るのはヨタヨタで遅く、赤点です。そこで課外授業の特訓をしましたが、その結果、水かきのある足をひどく痛め、今度は泳ぐのまでダメになりました。
次にリスですが、走るのも登るのもトップ。しかし飛ぶのは全然ダメ。地上から飛ぶ練習をやらせすぎてノイローゼになり、すべてに自信を失って、走るのも登るのもできなくなってしまいました。
次にウサギ。走るのは抜群ですが泳ぐのはダメ。そこでまた特訓ですが、その結果、全身の筋肉が炎症を起こしてしまいました。
最後に鷲ですが、問題児です。飛ぶのはピカいちですが、登れというとリスのように登らない。勝手な方法で登るので、ついに処置無しの問題児というレッテルを貼られました。

 その結論は簡単です。
動物には、それぞれ生まれつきの特徴、特技がある。できないことを無理強いするならば、ストレスはたまり、失望して自信を失い、挫折感、劣等感、また時として罪悪感の虜になってしまう。アヒルはアヒル、リスはリス、「アヒルは走れない」ということです。
 このことは、人間の家庭や社会生活にもあてはまりますね。たとえば教会という社会を、聖書は「キリストの体」にたとえています。体の各部分はひとつひとつ違っていますが、キリストの命につながり、ひとつの使命・目的のため、協同して生きています。目、口、手、足、胃、肺、心臓、爪も毛穴も、みんな違っていますが、それぞれ特有で大切な役目をもっています。手が口に向かって「お前はずるい。いつも甘いものを独占して食べやがって。今後いっさい食べ物をお前の口には運ばないぞ」と言うでしょうか。毛穴が、バカにされている、と待遇改善を叫んでストライキするでしょうか。体全体の毛穴の三分の一が火傷でダメになってしまうと、人は生きられません。それほど大切なんです。
 神はすべてを愛し、ひとりひとりを違ったデザインで造り、神の大きな愛の目的のため、 かけがえのないものとして、ひとりひとりをお用いになるのです。
要点は、こうです。
○自分は自分であれ。あなたは神の愛と知恵で造られた神の傑作なのです。
○一番大切なのは、神のいのち、神の目的に、がっちりつながっていることです。
○神と人を切り離しているのは“罪”だけです。イエス・キリストの十字架の血によって罪を赦していただき、がっちり信じて神とつながれば、ありのままの自分を生かし、神に喜んでいただき、自分も満足し、人々をも喜ばせるすばらしい人生が展開するのです。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」(ヨハネ15:5)