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しあわせは、いろいろあります。そして、しあわせには深みがあります。
常識的幸福
ある年の元旦、夜も明けきらないうちに、アメリカの娘から電話がかかってきました。
「新年おめでとう。日本のお正月がなつかしいわ。でも私たち夫妻、幸せにやってまぁす」。朝の10時になると、息子・娘夫婦もやってきて、総勢8人、賑やかにおせちの膳につきました。「しあわせだなぁ」と、神に感謝しました。聖書は、神の言葉をこう記します。
「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに」(イザヤ書48:17〜19)
神を見失った私たちは、誰にもわかる、こんな常識的なしあわせすら失ってしまいました。しかし、神は、私たちに、こんなしあわせを回復してくださる方です。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:13)
逆説的幸福
しかし、聖書の中には、常識的でない幸福のことが述べてあります。
「心の貧しい者は幸いです。…悲しむ者は幸いです」(マタイの福音書5:3〜4)
「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。…あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい」(ヤコブの手紙1:2、4:9)
人生に、苦しみ、試練、痛み、悲しみ、涙が満ちているのは現実です。多くの人はこれを不幸といいます。しかし聖書は、これらが、私たちを、より深い幸福に導くものだというのです。聖書の詩篇の詩人はこう歌いました。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口の教えは、私にとって幾千の金銀に勝るものです。(詩篇119:71〜72)
私たちは常識的に幸福なとき、富、地位・権力、学歴・知識、健康こそが、幸福のもとと考えてしまいやすいのです。苦しみにあったとき、ほんとうの幸福、ほんとうの祝福の根源が神であることを知り、どんな時にも不変の幸福を握ることができるのです。
聖書の中から苦しみの幸せをいくつか探し出しました。
○苦難の中で自分を反省し神の前に悔い改めると、より深いしあわせが湧きあがる。
○苦難を正しく受けとめると、神が、より練られた品性、思いやりや忍耐を与えてくださる。
○苦難の中で神を見上げて感謝すると、もっと心の中でしあわせになる。
先ほどの詩人、ダビデは神に向かってこう歌います。
「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」(詩篇16:11)
永遠的幸福
最も深い、高い、究極的な幸福は、死と世の終りの彼方に、神を畏れる者に待っている永遠の幸福でしょう。涙も死も悲しみも叫びも苦しみもない、新天新地です。
「見よ。わたしはすべてを新しくする」(黙示録21:5)
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