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今の教育は「のばす教育」ですね。しかし、聖書が教えていることは「刈り込み」なんです。「わたし(イエス・キリスト)の枝で実を結ばないものはみな、父(神)がそれを取り除き、実を結ぶものはみは、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます」(ヨハネの福音書15:2)
樹木や果樹の刈り込みには三つの種類があり、それぞれに意味・目的があります。
人生でも同じだと思います。まず第一の刈り込みは、幹を太らせるための下枝の刈り込みです。ある方に連れられて、ノコギリを持って、松の下枝の刈り込み作業に行ったことがあります。その人は、幹の直径5センチくらいの松と15センチくらいの松を指さして言いました。「ニ本とも植えて十年ですよ。刈り込みをしなかったのが、この5センチのほう、刈り込みをしたのが、この15センチのほうです。人間だって同じ。甘いものを食べたいという枝、遊びたい、朝寝坊したい、わがまましたい、自分勝手したいという枝は、早く切り取らなくちゃ、人生の幹は育たないよ」
人生の第二の刈り込みは、実を結ばせるための枝の剪定です。私はカリフォルニアの大ぶどう園で、枝の剪定を見たことがあります。たった二本のメインの枝を残して、あとは全部パチパチ切って落としたのにはびっくりしました。そのメインの枝も、延びた小枝は全部落としてしまうのです。もう実のならないものは全部切り落とし、実のなる新しい芽、新しい枝が延びるように、徹底的に刈り込むのですね。イエス様の言葉通りです。
さて、第三の刈り込みは、渋柿を甘柿にする接木です。渋柿をどんなによく手入れして、肥料をやって大きくしても、渋柿の木には渋柿しかなりません。
昔、私は、渋柿の台に甘柿の穂を接ぐ「接木」を習ったことがあります。「“桃栗三年柿八年”っていうけど、これで三年もするとうまい百目柿がなるよ」その言葉通り、三年目に、枝もたわわにたくさんの美味しい百目柿がなりました!!
考えてみると、幹を太らせる下枝の刈り込みも、実をたくさんならせるための枝の剪定も大切です。しかし一番大事なのは、この接木ではないでしょうか。神の救い主、イエス・キリストは、すぱっと切られた“十字架の切り口”を私たちに提供していてくださるのです。私たちも、罪を悔い改め、100%神を信じる「信仰の切り口」をもって、しっかり神様と結びつかないかぎり、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ人への手紙5:22,23)のいのちの実を結ぶことはできないでしょう。
死んでも死なない「永遠のいのち」につながることはできないでしょう。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」
(コリント人への手紙第二・5:17)。
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