ロスト・アンド・ファウンド

 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。/イエス・キリストの言葉
 (新約聖書・ルカの福音書19章10節)

 英語圏の駅や空港には、よく「ロスト・アンド・ファウンド」(遺失物相談所)というのがあります。数ある旅行経験の中には、荷物が行方不明になって大変困ったことも何度かあります。
荷物は大切ですが、無くなっても命に別状なければ、まぁ大したことはないわけですが、事が「人間の魂の遺失物」となると、いったいどうしたらいいでしょうか。荷物は、ロスト・アンド・ファウンドに行って相談もできますが、魂が失われたらどうすればいいでしょう。
 イエス・キリストは、有名なルカの福音書の15章の中で、「魂のロスト・アンド・ファウンド」のたとえ話をされました。「道に迷った羊」「無くなった銀貨」「家出をして放蕩三昧の息子」、それぞれのたとえ話の中に、「人生の行き先を見失い迷う人」「ピカッと光るものを持っているのに人生の暗やみに転がり込んで自らを救い出す力のない魂」「神を離れ自分の欲望の満足の中に罪を犯し、滅びに定められた魂」を、イエス・キリストは描きだされました。

 「小羊一匹くらい、銀貨一枚くらい、いいじゃないか。放蕩三昧の息子など家出していなくなったほうがいいよ」と私たちなら言いそうですが、イエス・キリストは、それが神様にはかけがえのない大切なものであることを強調されました。神がご自分で産みなさった、ご自分の愛するもの。なんで忘れることも捨てることもできましょう。しかも、悔い改めて神のふところに帰りさえすれば、失われた魂も、新しく創造された神の栄光の器に変わる可能性を持っているのです。なんで放っておけるでしょうか。
 「道に迷った一匹の小羊を、見つけだすまで捜し続けた羊飼い」は、イエス・キリストご自身の姿です。神は、イエス・キリストの十字架の死において全ての人の罪をあがない、その十字架の血をもって私たちを捜していてくださるのです。
 銀貨を無くした婦人が灯りをかかげてゴミの中を見つけるまで捜したように、また、放蕩息子の父親が、じっと赦し続け祈り続けてわが子が帰るのを待っていたように、神様は今でも私たちの失われた魂を捜してくださいます。魂に光をてらし、永遠を思い、救いを求める心をおこしてくださるのです。

「わたしは世の光です。私に従う者は決して闇の中を歩む事がなく、命の光を持つのです」(新約聖書・ヨハネの福音書8章12節)