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そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」
(マタイの福音書18:21-22)
当時のユダヤ教の教師たちには「三度までは人を赦しなさい。しかし四度目はその限りにあらず」という教えがあったのです。赦す。ほんとうに心から赦すということは、むずかしいことです。でも、とてもとても大切なことなので、イエス様はペテロに、七回なんてケチくさいことを言わず、何回でも徹底的に赦しなさいと言われました。それほど赦すことは大切なのです。それは、赦すことは、人を生かすからです。
私の尊敬してやまないチャールズ・ウッドブリッジ博士が、学生の私たちに話してくださったことです。若い学究の徒であった彼が教鞭をとっていた聖書大学に、経験豊かな老牧師が公演にきましたが、間違った話をしたので、彼は学生たちの前でこの老牧師を痛烈に批判したのです。しかしその晩、家に帰って、彼の心は痛みました。清い、愛に満ちた老牧師をあざけったことを、彼は深刻に悔い改め、お詫びの手紙を書きました。数ヶ月して届いた返事は、たった三行でした。
「親愛なるチャールズ。赦しました。忘れました。永遠に。主の年老いたしもべより」
なんと簡潔な、しかし徹底した愛と赦しの手紙だったでしょう。「僕はね、その時から、学問の態度も、生活の態度もガラッと変えられました。あの手紙が僕を生かしてくれたんです。」
神こそ、私たちの罪を徹底的に究明し、さばかれる方であるのに、愛なる神は、そのひとり子を十字架の上で死なせ、私たち罪人の罪を、私たちが悔い改める何千年も前に赦してくださいました。あなたや私の罪を黙ってその罪のない身に背負い込んで、私たちの代わりに罪に対する神の刑罰を受けて血を流して死んでくださったイエス・キリストは、赦しを先払いしてくださり、今も私たちが、「ごめんなさい。信じます。赦してください。」と言うのを、根気強く愛し続け、赦し続け、待ち続けていてくださるのです。そのおかげで、こんな私までが罪を赦されて、新しい人生、輝かしい喜びと平安の人生を歩み始めることができたのです。
私たちも赦すべきです。
どうしたら、愛し、赦せるようになるでしょうか。
第一)神の前に、自分がどんなに罪人であるかを知ることです。また他人と比べて高ぶってはなりません。
第二)こんな罪人をも無条件で赦してくださるイエス・キリストの愛と赦しを、徹底的に悔い改め、徹底的に信じ受け入れて、赦され、救われる、底知れない恵みを、自分自身で体験することです。
第三)自我に死に神に生きる新しい生き方は、キリストに従って、キリストのように生きることだと覚悟し、常に赦せる力を上からいただくことです。
「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
(エペソ人への手紙4:32)
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