見よ。わたしは新しい事をする。

 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
(イザヤ書43:19)
 
聖書には、「新しくなる」約束が、あちこちにあります。
「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二5:17)
 人生には、神様から定められ与えられた変わらないこと、変わらなくてもよいこともたくさんあります。しかし神を離れて自分勝手な道を歩き続けてきた私たちには、変えられて「新しくされる必要なこと」がたくさんあります。
 心から悔い改めてキリストに信じ従うとき、人生にはスパッと一挙に変わること、徐々に変えられて新しくされること、天国に行ったとき究極的に変えられることがたくさんあります。そのことを五つ挙げてみましょう。
(1)過去の罪が清算され、人生の行き先が、裁きと滅びから永遠の天国に変えられる。(ローマ人への手紙6:23)
(2)神さまと仲直りができて、神さまが天のお父さまとなり、主イエス・キリストが永遠の友となる。祈ってきかれる人生になる。(コリント人への手紙第二5:18)
(3)今まで自分の力で、自分のためにのみ生きてきたエゴイズムのみじめな生き方が変えられ、神のため、キリストのため、人のため、愛して仕えるすばらしい生き方に変えられる。(同 5:14-15)
(4)今まで憎んだ嫌ったり見下したりした人への見方が変えられ、どんな罪人をも愛してくださるキリストの愛の眼鏡を通して見られるようになる。価値観が新しくなり世界が新しくなる。(同 5:16)
(5)使命感が新しくなる。神が救ってくださって、私を神の子としてくださるばかりか、こんな小さな弱い者を、神と共に働き、人々に救いの喜びを伝達するキリストの大使としてくださる。はっきりこの使命が自覚されたとき私たちは変わるのです。(同 5:18-20)
 人生をコンクリートジャングルにたとえたり、砂漠にたとえたりします。渇ききった喜びのない、実りのない不生産な人生です。しかし神が働いてくださった時、荒野に道が通り、荒地に川が流れるのです。そして「この水が行く所、ものみな生きる」のです。イエス・キリストは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書7:37-38)
 神のもとに来て罪を悔い、砕かれて柔らかくなった丸ごとの心を、キリストの血にあらわされている神の限りない「生かす愛」の中に投げ込み、その心の真中に、イエス・キリストがいのちの泉となって湧き上がり、砂漠の人生に川が流れるようになるのです。