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イエス・キリストが「ほんとうの幸福」について教えておられる有名な聖書の箇所があります。「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです」(マタイの福音書5:5)
ほんとうに幸福になる道は、飢え渇く心を持つことだというのです。私ぐらいの年令の人は、あの戦中戦後、食べる物のない苦しさ、辛さ、惨めさを深く味わいました。今の日本人は、一億飽食のグルメ時代で飢える苦しみなど知りません。しかし、目を世界に向けるなら、世界の三分の一の人々は飢餓にうめいています。エチオピアやバングラデシュの人々の写真をご覧になった方も多いことでしょう。しかし私たち飽食の中にいる者には、心の飢饉が蔓延しているのではないでしょうか。
アウグスチヌスは、その「告白」という有名な著書の中で申しました。「神よ、あなたは私たちをあなたのために造られました。私たちの心は、あなたの中に憩うまで平安がないのです」
どんなに物質的生活の豊かさがあっても、心の中の白々とした虚しさ、満ち足りない不満足感にさいなまれている私たちではないでしょうか。どんなに生活が豊かになっても、なお「欲しい、欲しい」「金、名声、快楽」と飽くことを知らず追求し、あげくの果て、ほんとうの満足が得られないばかりか、惨めな心、惨めな家庭生活、惨めな社会生活に落ち込んでいます。
食べ物や物質的な飢饉ではありません。いのちの飢饉、正しさ、清さ、ほんとうの生きがい、愛と喜び、平安の飢饉、心の飢饉なのです。
イエス・キリストは言われました。「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです」(マタイの福音書5:5)
義に飢え渇くとは、自分が神の前にただしい者でないことを認める、すなわち
●自分が精神的破産者であること
●自分が神の前に罪人であること
●神以外に、こんな自分を救い得るお方がいないこと
を、認めるということです。神がこのような人類を救うために、そのひとり子イエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして処罰し、その死によって、私たちを罪と死の呪いから救い出してくださるのです。このことを信じる者を神は義としてくださるのです。この義に飢え渇く者、この義を切に求める者に、神は、満ち足りる喜び、平安、いのち、生きがいを、罪の赦しと共に豊かに与えてくださるのです。
イエス・キリストは招いておられます。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネの福音書7:37-38)
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