苦しみを逆手にとる

 人生には苦しみ、悩み、その他多くの問題があります。悲しみや涙のもと、辛いことなどは人生のマイナス・ファクターだと言えるでしょう。ところが聖書の中でヤコブという人は「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」なぜなら「神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます」(ヤコブの手紙1:2、4:6)と言っています。彼は人生の苦しみや試練を逆手にとって、恵みや喜びというプラス・ファクターにする道を会得していたようです。
 ヤコブばかりではありません。旧約聖書の詩人は、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)と神に感謝しています。
 花の詩画で有名な星野富広さんは、首の骨を折ってから、ほんとうの幸福を見い出しました。苦しみの時にこそ、耳を傾け、上を見上げることです。
 苦しみの時を神に訴える時にして解決を見い出したダビデは、こう言っています。「私は苦しみの中に主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは、御耳に届いた。」(サムエル記第二22:7)

 ある幼稚園の火事でわが子を亡くしたお父さんが、園長を責めるためにかけつけました。ところが彼は、自分の子を後まわしにして他の子を助けたために自分の子を失い、しかも全身やけどでベッドに横たわり、涙を流している園長を見たのです。彼は園長の手をしっかり握り、新しい人生を見い出したそうです。子を失うことは最大の苦しみ、悲しみです。しかし神は、私たち人類を罪と亡びの力から救い出すために、そのひとり子イエス・キリストを身代わりとして十字架の上で死なせてくださったことを、そのお父さんは知りました。そして苦しみの中から、永遠のいのち、永遠の愛を見い出したのです。

 パウロは聖書の中で次のように言っています。「私たちは患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5:3-5)

 苦しいこと、痛いことなどは、受けとめようによっては、人生を玉のようにすばらしく精錬し、多くの実を結ぶようにするのです。
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(コリント人への手紙第二7:10)