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みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。(ペテロの手紙第一5:6)
神さまに対する信頼の心
聖書の教える謙遜とは第二に、神さまに対する信頼の心とは車の両輪のような関係にあると申し上げたいのです。あのイエスさまを裏切ったイスカリオテのユダは、銀貨30枚で愛するイエスさまを敵の手に売り渡し、自分の罪の結果のおそろしさを見た時、「私は罪を犯した」とわかりました。自分の罪深さにおびえました。そこでまず、銀貨を祭司長たちに返そうとしましたが受け取ってもらえません。しかたなく神殿の中に銀貨を放り込みましたが、それで心に平安があるはずがありません。とうとう、私なんかダメだと、血の地所と名づけられた所で自殺してしまったのです。
自らの罪を認め、自分に絶望したユダ、謙遜に見えますね。しかし神さまの恵みはユダに注がれませんでした。なぜでしょうか。
「イエスさま。私が悪うございました。私には自分で自分をどうすることもできません。赦してください」こう言って、イエスさまの所に身を投げ出してお頼りすれば良かったのです。最後まで自分に頼り、自分の処置に頼って、神さまの愛、神さまの力に信頼しようとしなかったのですね。聖書の謙遜とは、神さまに近づき、神さまの前にひれ伏し、そして神さまに従うこと、神さまに信頼することなんです。自分の計らいを捨てて神さまに100%信頼することこそ、本当の謙遜なのです。ですから謙遜な魂には、いつも豊かな神さまの平安が宿ります。そして神さまの平安は人生の力なのです。
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