神さまを喜ぶ(1)

 “全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。”
詩篇100篇は私の大好きなすばらしい賛歌ですが、この詩篇は、まず“神さまを喜ぶ”ことこそ、人生の最も生き生きした幸福な生き方だと告白しています。伝道者パウロは、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ人への手紙4:4)と言いました。

 神さまに造られ、神さまに生かされている私たち人間が、神さまを喜ぶことができないところに、人間の悲惨があります。同じ家庭にありながら、夫を喜ぶことのできない妻、妻を喜ぶことのできない夫、親を喜ぶことのできない子、子を喜ぶことのできない親。悲惨ですね。職場、学校、近隣社会、みな同じです。
 喜ぶということの根底には「お互いに受け入れている、受け入れられている」「愛されている、愛している」という自覚(確信)があるんです。

 神さまは全知全能。限りなく聖く美しいお方です。罪を嫌い、罪を罰せられます。しかし罪人を愛してやまない神さまは、キリストの十字架において、私たちのすべての罪を赦し、もろ手を開いて、「わたしの愛の胸に飛びこんでおいで」と招いていらっしゃるのです。
 十字架のもとにひれ伏して神さまを見上げてごらんなさい。あなたを愛し、あなたを救うために死んでくださったお方を仰ぎ見てごらんなさい。神さまを喜ぶことができるでしょう。心から真実な喜びが湧き上がるでしょう。