神さまと共に働く

 「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。」(コリント人への手紙第二6:1)
 人生を「神さまと共に働く」人生として考えられたことがおありでしょうか。人生を楽しむものと考える人もあります。くよくよせず、神さまの造られた自然を楽しみ、喜び、歌って人生を送れるなら、そんな人生もすばらしいですね。
 しかし聖書は、この人生を「神さまと共に働く人生」とも教えているのです。
 働く…それは食べるためだよと考える考えが一般的ですね。ですが、一生ベッドに縛りつけられ、人様の手を借りずには着ることも食べることもできない人の一生は、いったい何のためにあるのでしょう。そのような人もまた神さまと共に働くのだ、そのような人にも大切な有用な人生があるのだと聖書は言うのです。
 神さまと共に働く人生の根本的な条件、それは、あなたの心が神さまと一緒になることです。

神さまがどんなに弱い、小さい者にも愛の心を燃やしてくださるように、私たちの心も神さまと共に燃やしていただくことではないでしょうか。私はそんな人生をすばらしいと思います。伝道者パウロは、そんな神さまと共に働く私たちの肩書きを「神さまの大使」と呼び、その働きを「和解の務め」と言いました。罪と咎の中に、神さまを離れている人々の寂しい心を慰め、神さまの愛と結びつけ、和解させる。これほど大きな働きはありません。まさに神さまと共に働く人生ですね。
 アルゼンチンの伝道者バンジョンさんは、ある時一人の女子大生に会いました。彼女は暗い顔をして、冷たい石のようにかたい心を持っていました。バンジョンさんがいくら神さまの愛の話をしても、まったく受けつける様子はなく、屁理屈で反発してくるだけでした。さすがのバンジョンさんもあきらめて席を立とうとした時、神さまの愛が心の中に燃えてきて、「あなたのために祈らせてください」と言って祈り始めました。

神さまの前にひれ伏して祈っているうち、涙がとめどなく流れ、神さまの心とひとつになって、この女子大生に神さまの愛がわかるように祈り続けました。祈り終えて顔を上げると、女子大生もそこにひざまずいていました。その眼には涙があふれ、そしてこう言いました。「先生、今まで私のために泣いてくれた人は一人もいなかったんです。」
 こうしてもう一人、神さまの愛の胸に立ち返ったのです。神さまと共に働く私たちのエネルギーは、涙に象徴される神さまの愛、キリストの愛なのです。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(コリント人への手紙第一15:58)