イエス・キリストがいのちがけで叫ばれたこと

 「イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』」(ヨハネの福音書7:37,38)
 「ひとことでもしゃべってみろ。ぶっ殺すぞ!」あなたのこめかみにピストルを当ててこう言われた時、あなたにはいのちがけで言いたいこと、言えることがありますか。
 この時、素直な群衆たちはイエスを慕い、取り囲んでいましたが、“神と宗教を食い物にしていた”偽宗教家、偽道徳家サドカイ人、パリサイ人たちは、イエスが憎らしく、本気で殺そうといのちをつけ狙っていたのです。しかし、あくまでも清く愛に満ち、権威をもって真理を語り、

その上、盲人や足なえを癒し、風を静めて波の上を歩き、死人をも生き返らせたこのお方は、ついに立ち上がり、大群衆の前で大声で叫んだのです。しかし、まことの神であり救い主であるこのお方は、口先だけでなく、実際に十字架の上で血を流し、いのちを捨てて、その生と死をもって語られたのです。
(1)これは神の救い主のいのちがけの約束です。
 昔、私たちが住んだ福島の山里の丘の下に、十円玉くらいの湧き出し口の小さな泉がありました。夏は冷たく冬は温かく、常に滾々と湧き出し、泥が落ち込んでも落ち葉が積もっても物ともせず湧き上がり、押し流し、溢れました。イエス・キリストは、私たちの心の中に入って、そんないのちの泉となってくださると、いのちがけで約束してくださいました。永遠のいのちの泉、愛の泉、勝利の力の泉です。

(2)これは神の救い主の招待の言葉です。
 “だれでも”…どんな過去を持つ人、失敗挫折の中にいる人、若者も老人も男も女もです。ただし一つだけ条件があります。“渇いているなら”…あまりにも多くの人は自己満足しています。自分のことや、目の先のことだけに夢中です。しかし胸に手をあてて考えてみてください。あなたの心の奥には、永遠へ、清さへ、愛へ、ほんものの生き甲斐への渇きがあるのです。
(3)これは神の救い主のいのちがけの命令です。宗教にでも哲学にでもない、“わたしのところに来なさい”という命令です。そして、この“わたし(限りない愛といのちなるあなたの救い主)を飲みなさい”、信じて心の真ん中へお迎えしなさい、という命令です。
いのちがけのあなたの救い主の言葉にお従いしてまいりましょう。