「ヒューマニズムに救いはあるか」

 人間はだれでも信仰を持っています。信仰なくしては、一日も生きられません。今日も電車に乗って通勤します。飛行機に乗って旅行します。私たちは何一つ自分で安全テストをしません。レストランに入って毒物検査もしないで食事をします。銀行に大金を振り込みます。今日も信仰をもって、おおぜいの男女が結婚します。日常生活の中には、無意識的に信じ込んで行動できることも多くあります。常識と日頃の体験が裏付けていてくれるからです。
 しかし、生きるか死ぬかのような大問題、人生の根本に関するようなことについては、慎重に確かめてから信じるべきです。信仰は、あったかくて気持ちいいといって感情だけで決めるべきではありません。信仰は、盲目であっても不合理であってもなりません。人のイマジネーションだけで決めてもなりません。信仰の対象はいつも、真理であり、真実でなければなりません。
 そして、今日、注意しなくてはならない信仰は、ヒューマニズムです。人間のいのちを大切にし、人格を尊び、同情と愛をもって互いに愛しあおうということはすばらしいことです。真理でしょう。しかし「人間100%理性的意志的になれば、人間に解決できないことはない。人間は自分を自分で救うことができる」というヒューマニズムの出発点と信仰については、慎重に吟味してかかるべきです。聖書は、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」(箴言14:12)と警告しています。
 光通信の先端を行く学者で工学博士、若くして大会社の重役、政府の委員会のメンバーにもなっている方が、「私の家庭は地獄でした。妻とは離婚しましたが、今一緒に住んでいる13歳の男の子のため、今も地獄です」と、涙ながらに告白しました。日本でも指折りの大会社の社長夫人も、「お金で解決できることだったらほとんど何でも解決できるのですが、非行に走る一人の息子がどうにもなりません」と泣かれました。
 「神を離れし人間の悲惨」とパスカルが言いましたが、神を離れた人間の、自分で自分がどうにもならないこれらの姿こそは、現実です。悲しいけれど、正真正銘の現実です。しかし私は、神の、救い主の愛と力が、人生を全く新しくしていく現実をも、たくさん見てきました。ヒューマニズムの夢よりもこの現実にこそ、賭けてみる価値があるのではないでしょうか。
 聖書のことば「人間に信頼し、…心が主から離れる者はのろわれよ。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。」(エレミヤ書17:5、7、8)