「神にすがりつく」

 まずお便りの紹介です。京都府にお住まいのFさんからいただきました。「早朝に神様のメッセージを聞きながら一日が始まります。力の源である神の言葉を、弱い私は『本当だ、そうなんだ』と相槌を打ちながら聞いております。一日の生活の中で、ともすれば忘れてしまいがちですが、一日の始めに感動を覚え、平安をいただくひとときを感謝します。」Fさん、ありがとうございました。

 今日の詩篇をお読みしましょう。「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」(詩篇63:8)

 すがるという言葉、少々女々しいひびきがあるように思う人もいるでしょう。すがりつく手をふりはらって、「離せ、軍刀にさびがつく」と言ったのは、戦争に出てゆく昔の日本の男の心意気でした。

 しかし大の男が「すがりつく」話が聖書にあります。イスラエルの父祖・ヤコブという人は、神を知り神に従う家庭に生まれましたから、神を知っていましたが、ヤコブ(押しのけるもの、の意味)という名前が示すように、彼は「自分、自分、自分」のエゴイストで、兄や父をごまかして長子の権利も家督の権利も奪い、故郷にいられなくなり、生命をねらう兄から逃れて伯父をたよって異国の地に行き、そこでも伯父をごまかして莫大な財を成し、大群をひきつれて故郷に向かいました。

 旅の途中、大きな川の手前で夜を過ごした彼の前に神の使いが現われて、一晩中、ヤコブと格闘しましたが、ヤコブは自我の力で神の使いをやっつけてしまいそうでした。神をやっつける・・・それがヤコブでした。ところが神の使いがヤコブのももの関節を打ち、ヤコブはへなへなになりました。神の使いが去ろうとした時、心砕けたヤコブは彼に取りすがり、「行かないでください。私を祝福しないうちは私は離しません」と言ったのです。神の使いはついにヤコブを祝福し、ヤコブはその時から、自我に死んで神と人とのために生きる祈りの人、祝福の人となりました。

 救いを求めて神にすがりつくことは、大の男も女もなすべき一事。そのときこそ、神は罪人を支えてくださるのです。

「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」(詩篇63:8)