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福島県にお住まいのOさんからお便りをいただきました。「いつも放送を感謝し拝聴させていただいております。突然看護人が患者に転じ、夫と一緒に入院、ペースメーカーを入れていただきました。『40年目に押し戴いた休日は病いにあれど我はうれしき』。私のための治療を頂き、私のためのベッドを頂き、過分に幸せな一ヶ月でございました。左手をかばいつつ歩みを始めております。」 Oさん、大変なことでしたね。でもOさんにとっては嬉しき良き時となったのですね。ありがとうございました。
さて「今日の詩篇」です。詩篇102篇6-7節。「私は荒野のペリカンのようになり、廃虚のふくろうのようになっています。私はやせ衰えて、屋根の上のひとりぼっちの鳥のようになりました。」(詩篇102:6-7)
昔、ある時、ビリー・グラハムという伝道者が、「屋根の上のひとりぼっちの鳥」というテーマで、神を離れた人間の孤独について語ったとき、私は自分自身が16歳の時に家出し、川のほとりで自殺を図ったときの「ひとりぼっち」(孤独)を思い、涙なしに聞けませんでした。
沼のほとりにひとり片足でたたずむペリカン、廃虚のくらやみの中で目だけギョロつかせてひとりぼっちでじっとしているふくろう。屋根の上にしょんぼりひとりぼっちのやせた鳥。
聞いてみれば、「俺、人間のように、ひとりぼっちでも寂しくもないよ」とペリカンにもふくろうにも言われそうです。しかし彼らの姿を見ると、やはり、人間のひとりぼっち、人間の孤独を感じます。病み弱り貧しく、死の前にまったく無力な自分自身をじっと見つめる時、啄木ならずとも孤独の砂をかむのです。
今日のお手紙のOさんにも、40年つれあいも居、それなりの忙しい生活があっても、言い知れない孤独をかみしめる時があったかもしれません。しかしそんな孤独を通して見い出す神のある、いのちのある、愛のある人生、その豊かさを感じはじめているのではないでしょうか。
聖書の言葉、イエス・キリストの言葉。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)
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