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今日も、まず皆様からのお便りの紹介です。千葉県にお住まいのSさんからいただきました。「いかがお過ごしですか。私は友だちと5人で、沖縄自転車の旅をしてきました。残り少ない学生時代を充実したものにしようと、頑張っています」
うらやましいほどの若さと夢に満ちたお葉書、ありがとうございます。心に夢を抱き、その夢が現実となってすばらしいですね。
さあ、今日の詩篇は、詩篇108篇2節です。「十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」
平清盛は、自分の都合で沈み行く太陽を扇で仰ぎ返すという、自然に逆らい、神に逆らう傲慢なことをして、神の裁きを受けたと言われています。
しかし、神の全能を信じ、神の善意と愛を信じるなら、真っ黒な暗雲が立ちこめる嵐の時にも、信仰によって「神の暁」を心に呼びさますことができるのではないでしょうか。
もう何回もお話ししたほど、私の心に焼きつけられている想い出があります。
私が高校の教師をしていた時です。16、7人の生徒をつれて真夜中の高い山の登山を試み、道を見失って、あわや全員遭難という事態に落ち込んだことがあります。山は高く、夏とはいえ凍えそうな寒気、突風。軽装で、食料もろくに持たず、ある生徒は泣きだす、ある生徒は「帰る!」と言って一人でやみの中にかけ去ろうとする。教師の私は生きた心地がしませんでした。
しかしそんな時、「神さまはやがて必ず太陽を上らせてくださる」と、ふと、当たり前のことながら気がつき、私の心の中に信仰というか、神を待ち望む心が満ちあふれてきました。私は元気になりました。私は、生徒一人ひとりの心をきゅうとつかんで励ましました。みんなに、砂地に穴を掘らせ、風と冷気を避けさせました。みんなで歌を歌いました。光を呼びさましたのです。
太陽が上がりました。私たちは山の頂きのすぐ下にいたのでした。助かりました。“勝利”でした。
今日の詩篇「十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」(詩篇108:2)
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