日本の国は一般的にいって、どこでも良い水が豊富にある国ですから、普段は水のありがたさをそんなに切実に感じません。ただし、一旦水不足になってみると、水は命です。私は軍隊時代、いやというほど、このことを訓練によって知らされました。32キロの完全武装で、一日中の行軍。水筒の中に水はチャプチャプ持っているんですが、一滴も飲ませてくれないんです。一日の長い行軍のうち、たった数回、一回に一滴ずつ喉にたらす。それだけを号令でやらされました。まさに死の苦しみでした。
 砂漠へ奥深く旅した探検隊が、トラックに満載したドラム缶の水を、事故で全部失ったことがありました。十数名のうち、生き残ったのはたったひとり。しかもそのひとりが発見された時には、完全に発狂していたそうです。
 まさに、水は命です。「一滴の水」が生き死にを決定するのです。
 「人はパンだけで生きるのではない」という有名な聖書の言葉がありますが、人間が精神的、霊的、人格的に水を断たれた状態になったらどうでしょうか。
 私は16歳の時、そのことを経験しました。争いの絶えない真っ暗な家庭。何のために生きるのか、全くわからない。死ぬために生きているとしか考えられない。どんなに自分の心を絞っても、命の力は一滴も出て来ない。その時私は、真夜中の3時、自殺未遂をしました。
 今はどうか。歳をとって、体はひからびました。でも、ひとりのお方のおかげで、今も私は心の中に絶えずわきあがる泉をもっていると感じています。そのお方はこう言われました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書7:37,38)
 そのお方とは、命を捨ててまで、ご自分の愛と永遠の命を与えてくださった、救い主イエス・キリストでした。