十字架を前にしたイエス・キリストは、これからのことをいろいろ弟子たちに予告しました。ご自分が捕らえられ、十字架にかけられて死ぬこと。ご自分が世を去って後、世界は大きな苦しみと悲しみのルツボとなること。偽キリストが次々に現れて、人々を惑わし、戦争が起き、地震、飢饉、殺しあい、裏切り、憎みあいが渦巻くこと。弟子たちの心は不安でいっぱいになり、心騒ぎました。
 しかしイエス・キリストは、神を信じ、神に従い、神を待ち望む者にとっては、世の終わりに待ち受ける大艱難や悩みや悲しみは産みの苦しみで、その後、悲しみが喜びに変わるとおっしゃいました。
 このイエス・キリストの預言には三つの意味があります。
 ひとつは、キリストの十字架での苦しみは、世の人の罪の身代わりとしての苦しみでした。三日目には復活して、罪の許しの業を成就したことは、彼を信じる人々を罪から救い、地獄の苦しみから解放し、死んでも死なない永遠の命を与えるのです。これこそ、悲しみが喜びに変わった第一の喜びです。
 第二は、この地上にあって、私たちには、まだ嘆きや悲しみがあります。「世にあっては悩みがある」とキリストは言われました。ですからキリストは、いつも私たちと共におられて、私たちに勝利を約束しておられます。そのうえ、世の終わりの日、イエス・キリストは再び来て、私たちひとりひとりを嘆きも悲しみもない神の国に携え入れてくださいます。
 「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネの福音書14:3)とキリストは言われました。これは、救いの完成の喜びです。
 最後に、罪と悪とサタンの力に支配されているこの世において、主を信じ、頼り、主を愛して生きる私たちひとりひとりは、悲しみを喜びに変えることができ、死の陰の谷を泉の湧き上がる所とすることができるのです。私たちは、力から力へと前進することができます。私たちには喜びの人生が約束されているのです。これは、動かしがたい聖書が約束していることなのです。
 「あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(ヨハネの福音書16:20)