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私の現在の家庭のことを言うならば、「使用前・使用後」の区別があまりにもはっきりしています。使用前は真っ暗闇。使用後は真っ昼間の明るさだと言えます。
16歳の少年だったころ、私の家庭は毎日、日のささない真っ暗闇でした。父と母は、けんかをするために結婚したのではないかと思うほど、朝に晩に争いが絶えませんでした。子供たちにとって、針のむしろに座らせられたような惨めな日々でした。
そのような私のために血を流し、命をかけて愛し、身代わりとなってくださって、新しい命に生かしてくださる救い主イエス・キリストに、私は出会うことができました。私はこのお方を、私の砕けた心に、涙をもって受け入れた日から、神の愛が小さな信仰の管を通して、私と私の家庭に注がれ、17年目にして、全家族が生まれ変わりました。今や、私の家庭は、共に歌い、共に祈る、喜びの家庭になったのです。
神が人類を創造されたとき、人間を神ご自身に似せてお造りになりました。神と同じ知性、感性、意志を有する者として。ですから、もともと人間には、愛して生き、愛されて生きる可能性や、愛し合い、仕え合って幸せに生きる能力を内臓しているのです。人類が神に背き、おのおの己が罪の道を歩き始めた今も、涙と感動にむせぶ夫婦愛、親子愛、兄弟愛をかいま見る機会もあるのです。反面、悪魔に魂を売り渡したような地獄の冷酷さに満ちた、悲惨な家庭をも見るのです。悲しいことです。多くの家庭は、人生のバランスを失った家庭ではないでしょうか。愛したい、愛してもらいたい、それなのに憎み、ねたみ、争う。そんな家庭がいっぱいではないでしょうか。
愛を表現する数々のテクニックを教える教えは多くあります。しかし、どんなときにも変わらずに愛する愛が実践されていないのです。
そのような私たちひとりひとりが、心から悔い改め、心からへりくだり、「こんな私まで大切にし、愛してくださる神様の愛」、そして「死んで私たちを許し、生かしてくださるキリストの十字架の愛」の前にひれ伏して、それを受け入れるとき、せきを切ったように神の愛は、聖霊によって私たちひとりひとりの心に流れ込み、やがて家庭全部を浸してくださいます。
ここに、真の家庭円満の秘訣があるのです。
聖書の言葉、「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5:5)
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