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聖書の中で最も短いと言われている言葉が、福音書の中にあります。それは原語ではたった二語、「イエスは涙を流された」という一節です。この言葉ほど、イエス・キリストの人間性を表わす言葉はないでしょう。
神様は何でも知っておられ、何でもおできになる創造主、支配者、裁き主です。しかし、その全知全能、全権をお持ちになられている神はまた、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43:4)と言われるほどに、完全で純粋な愛なるお方です。
神に背き、限りない悲しみと苦しみ、惨めさと涙の中にある人類を救うために、この神様は、神であり人である神の独り子イエス・キリストをこの世に遣わされました。
このイエス・キリストが、死んだラザロの墓の前で、ただ黙ってポタポタ涙を流されてお泣きになりました。
ご主人を亡くされたひとりの奥さんが、私に話してくれました。「会社の人たちが来てお悔やみを述べ、香典を置いていってくれました。でも夫の親友のAさんは、私の前に座って、うなだれたまま、ただポタポタ、ポタポタ涙を流しながら、声をこらえて泣いてくれました。私の胸にいちばんこたえました。」
古い流行歌に「星は何でも知っている ゆうべあの子の泣いたのも…」という文句がありました。この言葉がいつも、ふっと私の口に上り、私はイエス様のことを思います。
私の流す涙の一粒一粒を覚えて泣いてくださるイエス様は、私の犯したすべての罪を、その純粋無垢なお体の上に丸ごと引き受け、私の代わりに十字架で死に、私の罪を許し、その命を私に与え、私を生きる者にしてくださったのです。
聖書は言います。「私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル人への手紙4:15-16)
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