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私たちは目先のことや今すぐの最善を望み、期待します。
早くこの経済的危機を乗り越えたい、早く病気が治りたい、早くねじれた人間関係がすっきりしたい、早くこの苦しみから抜け出したい、健康で安らかで、豊かでいきいきした人生を歩みたいと願います。これは当然なことです。
ところが、これらの人間の願う最善と、“神の最善”は違うようです。
私の知っている牧師の口癖は、「これらのことの後でよくなる」と言うことです。自分が悩み、苦しみもだえるとき、「これらのことの後でよくなる」と自分に言い聞かせるのです。会衆の前で説教するときも、いつも「これらのことの後でよくなる。アーメン、アーメンです」と念を押すのです。
この牧師は、いつでもどこでも、ニコニコ元気です。
ヨブという人は、「苦しみの人」と言われ、次から次へと困難、試練に会いましたが、「私はこれらの中から金のようになって出てくる」と言いました。
私は、ある銅山がまだ盛業中に見学に行ったことがありました。掘り出された石ころ、つまり鉱石がクラッシャーにかけられて粉々に砕かれるのです。それから、油選鉱といって油の中でかき回されます。そして、何千度という高温の炉の中に投げ込まれ、そしてついに純金、純銀、純銅となって出てくる姿を、この目で見ました。
聖書の中で、キリストの弟子ペテロは言いました。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(ペテロの手紙第一5:10)。
“神の最善”は、“人の最善”と違うのです。苦しみや悩みを通して、人間を内面から精錬して純金にするのです。人間を本物に作り上げて、最後には、死の向こう側にまで通用する、朽ちない、栄光に満ちた幸せを備えてくださるのです。
「終わりよければ、すべてよし」と言うではありませんか。“神の最善”は完全です。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)
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