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現代は、ものすごい情報化社会です。情報過多時代と言ったほうがいいかもしれません。あまりの情報のラッシュに、テレビを見ていても、これは本物なのかドラマなのかわからない、という珍現象まで起きています。そういう外側の圧倒的な現象が家庭の中にも侵入してきているせいでしょうか、家庭そのものまでが、どうも落ち着きのない奇妙なものになりつつある、と指摘している学者がおります。
小此木啓吾氏は、その著書「家庭のない家族」の中で、“劇場家族”ということをとりあげています。“劇場家族”、すなわち、お父さんはよいお父さんになるように演技している、お母さんはよいお母さんになるように、子供はよい子供であろうと、みなそれぞれ演技しているというわけです。演技、すなわち偽りの行動をとっている、ということです。
ところで、聖書のローマ人への手紙の12章9節には「愛には偽りがあってはなりません」とあります。この“偽り”という言葉が、ギリシャ語の原語では“演技する”という意味なのです。つまり、愛には演技があってはならない、というわけなんです。ところが、現代の家庭の中ひとつをとってみても、最も真実であるべき夫婦や親子の間の愛が崩壊しかかって、偽りの演技になっている、これが劇場家族だ、というのです。
これとは対照的に、神の愛について聖書はこう述べています。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」(ヨハネの手紙第一・3章16節)
ここでいう“それによって”とは、“その事実によって”と訳すことができ、イエス・キリストが十字架につけられ、命が投げ出され、血が流されたというその事実によって、私たちは愛を知ることができたんだ、という意味なんです。
人間の側は、実の親子であっても、偽りの、演技の愛と化しているのに、神様の側の愛は、神の子イエス・キリストの命が投げ出されたほどに、真実そのものである、というのです。真実の神の愛によってつくり直されるとき、初めて、家族の愛も真実なものへとつくりあげられていく、これが聖書の主張です。
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