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ミヒャエル・エンデ作の「モモ」というお話が大評判になりました。灰色の服と帽子に身を固めた時間泥棒集団というのが、ある日街にやってきて、人々の時間を次から次へと奪っていくのです。時間を奪われた人々は、ただただ額に汗して働くだけ。彼らの頭にあるのは「能率」という二文字だけです。子供たちも、親たちが「忙しい忙しい、時間が無い」というので託児所に預けられ、愛に飢え渇いて泣いています。多くの人々が「何かおかしい、どこかまちがっている」と思いながらも、自分たちにノルマとして課せられた「能率向上」のスローガンの魔力に押し流されるだけ。そこへ正義の味方、われらが主人公・モモ登場、ということになります。時間泥棒集団との壮絶な格闘の末、みごと大勝利をおさめて人々の時間をとりもどし、街には愛のある生活がよみがえる、めでたしめでたし、というストーリーです。たわいのない話のようでも、これが今の人々にうけているというのもわかる気がするではありませんか。
時間というものは、何にもまして大切なもののように思うのですが、聖書には「今の時を生かして用いなさい」(エペソ人への手紙5:16)という言葉があります。時間はみんなに公平に神さまから与えられていますから、その生かし方は私たちお互いの責任ということになります。しかし“時”には限りがありますから、その制限の中で、どうしても、まずしなければならないことは何で、できることは何なのか、の優先順位を決めることが大切になってくると思います。それには、少なくとも次のようなことをメドとすべきであると、聖書は教えていると思うのです。
第一は、まずすべてに神を優先させる生き方です。聖書は「はじめに神が」で始まっているのですが、あらゆる点で神を第一とし、神の栄光のため、をあらゆる目標に優先させることです。
第二は、外なるものより内なるものを大切にする生き方です。なぜなら、外なるものは、それが財産であれ名誉であれ、いずれなくなるものですが、内なるもの、すなわち霊的なもの、また信仰、希望、愛などは、限りなく残るものだからです。
第三は、あらゆるものの価値基準を永遠なるものにおく、ということです。
キリストの福音の素晴らしさは、以上のような三つの内容を内実化させてくださるところにあるのです。
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