キリスト教が生まれて間もない頃のことです。キリスト教への迫害が激しく、リーダーであったヨハネという人は捕らえられて、パトモスという島に幽閉され、まさに四面楚歌という状況に置かれていました。そこでヨハネは、「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」(黙示録3章8節)との、天からの語りかけを聞いたのです。その「開いておいた」とおっしゃる方は、主イエス・キリストで、その門の開閉の「鍵を持っている方」です。「あの人はキーマン、鍵を握っている人だ」という言い方をしますが、この世界を創造し、今も一切を支配しておられ、そして私たちの罪のために十字架にかかり、それだけでなく、よみがえってくださったこの方こそ、私たちの人生のすべてを決定づけるキーマン、鍵を握っていらっしゃる方だということができます。その方が「だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」とおっしゃるのです。その開かれた門とは、救いの門であり、そして天国に通じるいのちの門です。またその方は、私たちの前に無限の可能性の門を開いてくださる方でもあります。
 ノミの実験というのをご存じでしょうか。透明なガラスの容器に何匹かのノミを入れておきます。容器の高さは、ノミが飛び出すことのできる程度なので、ノミはピョンピョン外に飛び出します。それを捕まえては何度か戻し、そのうちにその容器に透明のふたをします。ノミは飛び出そうとしますが、何回飛んでもぶつかるので、そのうちに飛び出すのをあきらめてしまいます。 やがては、容器のふたを取っても、ふたがあると思い込んでしまっているノミは、二度と外へ飛び出すことはしないということです。これは心理学上の実験なのだそうですが、障害はすでに取り除かれて門は開いているのに、まだ閉じられていると思い込み、可能性に挑戦しないでいることがあり得るということなのです。
 「あなたの前に開いておいた」とおっしゃる神様が、開いてくださっているその可能性にかけて、挑戦していこうという気概はいつでも持っていたいものです。絶望の象徴である墓を蹴破ってよみがえってくださった主イエス・キリストは、全く閉じられてしまって、望みがないと見える門であったとしても、それを打ち破って、新たな可能性の門を開いてくださったお方です。
 四方八方塞がっているようでも、門は開いていることを忘れないでいたいものです。