おなじみの落語にこういうのがあります。
 一人の婦人がある人のところに相談にやって来て、さんざん姑の悪口を言い、あの人さえいなければと何回も繰り返します。そうまで言うならと、「毎日少しずつ飲ませると、三か月後には原因不明で、ぽっくりいく薬」というのを分けてもらいました。ただし、「原因不明とはいえ、姑が亡くなって、仲が悪いとの評判で、嫁のあなたが疑われては困るだろうから、今後三か月間はだれにも疑われないように仲良くしなさい」と言われるのです。「そんなことは無理だ」「三か月だけだから」のやり取りを繰り返し、婦人はしぶしぶ、三か月間は我慢して、親切に、優しくすると約束して、薬をもらって帰って行きました。さて、そろそろ薬の効き始める三か月目ごろに婦人が駆け込んできました。今度は「前の薬が効かなくなる薬を下さい」と言うのです。訳を聞くと、「姑がとてもいい人になって、殺すことなんかできません」「どうして急に変わったんです」「わかりません」。そこでその人は言いました。「それはね、あんたが変わったからですよ。まさか自分を殺すためにやっているとは思わないから、ああ、うちの嫁はなんて優しく親切なんだろうと思っているうちにお姑さんも変わったんですよ。問題はあんただったんです。あんたが意地悪だったから、お姑さんも意地悪になり、あんたが優しくしたからお姑さんも優しくなったのですよ」「そうだったんですか。それにしても死んでもらっては困ります。なんとかしてください」「大丈夫。あれはただの栄養剤です」というわけで一件落着。
 私たちは毎日の生活の中で人間関係が難しいと言います。そして、あの人がいるばっかりに、あの人さえいなくなればと、他人のせいにしてしまう。客観的にはあるいはそうなのかもしれませんが、しかしこの落語の中にありましたように「問題はあなた」かもしれませんし、自分が変わることで、相手も回りも変わってくるということがありえるのではないでしょうか。
 聖書に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者」(コリント人への手紙第二 5章17節)とありますが、その前の句に「かつては人間的な標準で人を知っていたとしても、今はもうそのような知り方をしません」とあります。キリストにあって新しくなるというのは、まず自分が新しくされることによって、人の見方や人間関係が変わり、新しくなるという意味でもあることを知っていただけたらと思うのです。