私たちの人生から、さわやかさを奪うものがあるなら、その一つは執着心です。これは、何でも握りたがる癖と言ってもよいですね。これも私のもの、あれも私のもの。いまのこの地位も権力も名誉も、何でも握りたがる癖を、人はもっているのですね。
 でも、ギュッと握った手を差し出しても、何も受けることができません。握りしめているのですから。
 こんな話を聞いたことがあります。
 サルを捕まえるためにどうするか。まず壺の中においしい食べ物を入れておきます。サルがやってきて、その壺をのぞくと、おいしいものが入っているではありませんか。さっそく手を入れてその中の食べ物をわしづかみにします。さあ、問題はここから起こります。
 たくさんの食べ物を握ったまま手を壺から出そうとすると、壺の入口が狭くて手が抜けない。しかし手を離すと食べ物が落ちてしまうので握った手を開くことができない。そんなことをしているうちに捕まってしまう、というわけですね。
 握ったものを放さなかったばかりに、結局、たくさんのものを失うなんてこともあるのですね。
 いつまでもいろいろなことに固執し、執着し、ギュッと握りしめていると、逆に不自由になることもあると知っておくことは大切なことです。
 旧約聖書に登場するヨブと言う人は、いろいろな苦難を経験した人でした。しかし、彼は、こう告白しているんです。
 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)
 人生には様々な出来事が起こります。たくさんのものを失い、また手に入れます。私たちは、失うことばかりを心配して、逆に縛られ、不自由になっていることがないでしょうか。
 聖書は、私たちに、「ゆだねる」という生き方があると教えます。自分の握った手を開いて、イエス・キリストにゆだねるのです。思い煩いをゆだねるのです。心配事をゆだねるのです。
 握った手を開く、ほんの少しの勇気をもちたいですね。